趣味の写真とのんきなお喋り
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■ハコスタジオ川崎(神奈川県川崎市:130419)
※この写真は以下の本文と関係が無い。

何かで読んだが、歌でもグラビアでも、地下でも地上でもその他でも、
デビュー早々のアイドルがまづ最初に相手にしなければならない「ファン」とは、
自分(十代)よりも十も二十も年上のをぢさんたちで、その次が自分と同年代の男の子、
それから遅れて同年代の女の子(と年下の女の子)なのださうで、
困つたことに三段階目の同年代の女の子からの支持が得られないと
アイドルとしては短命に終はるのだといふ。

澤口明宏が監督したショートムービー「あなたがここにいてほしい」は、
売れない地下アイドルと三人のをつさんファンの物語である。
地下アイドル「つぼみ」には熱心なファンがゐるにはゐるが数は三人。
今日もどこかの小つちやなライブハウスで歌つて踊つてアイドル活動を続けてはゐるものの
すでに年齢は二十九(しかしプロフィールには二十二)。
新たに出現したアイドルグループに客(と売上げ)を取られてたまるかと、
くだんのファン三人に人気獲得作戦を考へ出させようとするも全くうまくゆかない。
そして、つひにマネージャーからは引退を勧告されてしまふ。

映画のジャンルはコメディなので、売れないタレントの清貧もしくは赤貧の話が
辛気臭くなることはない。適度に笑へて(つぼみに人気を得させようとして
開かれた撮影会の様子には笑つた。カメコなんてまさにあんなもん!)、
適度にうるつとさせられる(私は秋葉原の巨大ビジョンのシーンが好き)。
ファンたる三人のをつさんのそれぞれのしがない人生もそれぞれに共感をもつて
ながめられるやうになつてゐる(それにしても三人が互ひをハンドルネームで
呼び合つてゐるのには笑つた。さう、カメコ仲間もライブ仲間もあんな風に
ハンドルで呼び合ふのだよ! もはやあれは文化だね)

「あなたがここにいてほしい」はBABEL LABELによるショートムービー三本立ての二本目
(上映自体は切れ目なく三本連続する)といふこともあり、どうしても前後の二本と
比べてしまふのだが、私にはこの一本がいちばん「映画らしい」と感じられた。
それはたぶん、前の作品「死ぬまでやめられない老化と一瞬の永遠」(監督:アベラヒデノブ)
に比べて登場人物の類型化がほどほどで(逆に典型的であつた。これはよいこと)、
回想シーンと劇中の音楽とが「映画的に」編集されてゐたからにほかならない。
(映画的編集とはたとへば、出来事の時系列を飛び越したり無視したりして
映画館での時間に合せて物事が進行するやうに見せ掛けること。
私のお気に入りのこの種の編集シーンは「恋に落ちたシェイクスピア」における
シェイクスピアとヴァイオラが「ロミオとジュリエット」の科白を昼の稽古場で
そして夜の寝室で通しで交し合ふ場面。または「タイタニック」でジャックの
絵のために服を脱いだローズの目がCGのモーフィングによつて現代の彼女の目に変形するシーン。
特に後者はCGが異なる時系列をつなぐ編集技法として用ゐられたおそらく
ハリウッド映画最初の例として記憶しておくべきものだ)

さらには、後の作品「FALLING SLOWLY」(監督:萩原健太郎)に比べて
登場人物の造形に無理が無いからだろう。「FALLING SLOWLY」には(私に言はせれば、だが)
主人公の性格付けに一点ミスがある。それは作品冒頭の夜の渋谷のシーンで
主人公のストリート・ミュージシャン弘人が、通りすがりのサラリーマンに
無理やり自作のCDを買はせてしまふそのやり方である。あれではどうも
主人公がサラリーマン氏に因縁を吹つかけてゐるやうに見えてしまふ。
架空の人物が架空の舞台で何をしようと勝手なのだが、しかし、ラストシーンで
傷心のヒロインを救ふのが彼の必死の歌声であることを成立させるなら、
主人公が弱い人物(本当のことが言へずについその場の勢ひで嘘を口にしてしまふ)であることは
許されても、悪い人物(しかもその件への反省は作中描かれることはない)であつては
まづいのではなからうか。

それに対して「あなたがここにいてほしい」では、
つぼみの鼻歌を聴いて歌の続きを作曲してあげるピアノ教室経営者のをつさん
(ハンドルネームはジェントル氏。これきつとコテハン)の言ふ、
なぜ自分がつぼみのファンであり続けてゐるのかも、またその鼻歌にまつはる
つぼみ自身の回想と実父への思ひにも矛盾が無い。矛盾が無いどころか
この擬似父娘が心の通じ合つた間柄だといふことが後半での秋葉原駅前での
盗撮シーンに上手につながつてゐる。むろん対抗するアイドルグループが
「親子の抱擁」を一転スキャンダルに仕立ててやらうと企むなんて
ベタといへばベタな展開なのだが、しかし私にはベタベタ展開にありがちな
嫌味臭味は感じられなかつた。

個人的に良かつたのはアイドルを卒業すると宣言したつぼみのその後である。
映画を見ながら私は、ハッピーエンディングのコメディなのだから
それに相応しい落ちが欲しいな、それには彼女が実は……といふ展開を期待してゐたのだが、
見事それが当たつたのである。これは気分が良かつた。
逆説めくが、これなら主人公たちのその後の展開を心配しなくて済む。
きつと相も変らぬ毎日が繰り返されるのだらう、これからも。
そんなことが現実に許されるわけはないけれど、しかしこれはコメディなのである。
要するに、私は作品がコメディとして完結してゐるから気分がよくなつたのだ。
うん、きつとさうだ。

とはいへ、実はその気分の良さは若干削がれることになつた。
今日見た三本の映画は、悪く言へばどれもこれも人生の挫折組、負け組、
ワーキングプア、ニート、ホームレスばかりなのである
(特に「死ぬまでやめられない老化と一瞬の永遠」においてその傾向が顕著)。
いや、さういふ境遇の人物が悪いわけではなく、ましてやさういふ人物を
主人公にした制作者が悪いのでもない。しかし、そればかりといふのはさすがに飽きる。

トルストイの「戦争と平和」は私の大好きな小説で、学生の頃から私はこの小説を
毎年夏休みに必ず一回読むやうにしてゐる。長い作品で登場人物も膨大な数にのぼるが、
その中でも終盤のごくわづかな場面に登場する初老の農民兵士プラトン・カラターエフに関しては、
その重要性をめぐつて古くからちよつとした論争がある。
ある批評家・研究者はプラトンの出番の少なさ短さを挙げて彼を過大評価すべきではないと言ひ、
別の批評家・研究者はトルストイの構想段階では彼に相当する人物がゐなかつたことを根拠に
プラトンを脇に退けようとする。そんな批評家・研究者たちが揃つて根拠とするのが、
「戦争と平和」を書き始めたころのトルストイの言葉で、それは「読者は民百姓の生活には
興味を持つまい」といふものだ。むろんこの言葉のコンテクストを丁寧にたどれば
この言辞を農民農奴に対するトルストイの無関心と捉へることは出来ないのだが、
しかし、それがあらうがなからうが、プラトンの重要性は(私に言はせれば)
あの超大作に「水滴の地球儀」の場面ある限り、決して揺るがない。
しかし、私は今、「読者は民百姓の生活には関心を持つまい」といふトルストイの言葉を、
別の意味で肯いたい気持になつてゐる。

とどのつまりは私が無いものねだりをしてゐるだけなのかも知れないが、
都合七つの物語において負け組の再起ばかりを見せられると、他のパターンを観たくなる。
ショートムービーといふこともあつて作品内の世界(世代、時代)に
広がりと奥行きが期待できないのだから、なほさらである。
言ひ換へれば三作とも人生の挫折を経済的困窮状態と結び付け過ぎてゐはしまいか。
功成り名遂げた人物の心にも埋めやうのない空洞があるやもしれないといふのは、
むしろ作劇の常套手段ではあるまいか。
だが今回の三作品上映がさういふコンセプトのもとにおこなはれたのであれば、
それはそれで仕方がないのだが。

他の作品にも少し言及する。
三本目の「FALLING SLOWLY」は上述した冒頭の「ミス」以外は楽しめた。
楽しめたのだが、しかし、グッズ販売を翌朝計画し試作品まで作つてしまふ人物が
Google検索を行はないのはむしろ不自然であるし(猪男がするのは納得)、
あの程度の「夢語り」で嫁と旦那をそれぞれ捨てようとするかと言はれれば、
それはないだらうと私は思ふ。グッズ販売といふビジネスチャンスは今しかないと
強く主張する背景にどこかの田舎の町の閉鎖性を根拠に持ち出してしまつたのだから、
なほさらである(そんな町で結婚式と披露宴をドタキヤンしたら両家とも町にゐられなくなりはしないか?)。

映画の中のリアリズムといふのは現実そのままといふわけではない。
現実から見れば映画のウソとしか言ひやうのないものであつても、
その映画の中で矛盾なく繋がつてゐればそれは
リアリズムなのである(例「サウンド・オブ・ミュージック」ドレミの歌のシーンにおける
トラップ家の衣装。また、ほとんどのSF映画における宇宙空間での耳をつんざく爆発音)。
だから、猪男から名刺をもらつた弘人が彼女の働くブティックにかけつけ、
唐突に歌で励ますのは、この映画の中ではリアリズムであつて、決してご都合主義ではない。
しかし、それを支へる細部には映画のリアリズムを越えたリアルさがあるべきだらう。
折角のいい話なのにその瑕瑾を私は惜しむ。

「死ぬまでやめられない老化と一瞬の永遠」は、まづ題名の長さと血まみれの死体が
奏功してゐるとは思へない点が残念だが(暴力的な力による時の中断と「老化」とを
結びつけるのは私には困難を伴ふ作業だつた)、しかし、それ以上に私は
これが映画だつたことを惜しむ。
といふのは、この構成ならむしろ舞台で役者をライブで演じさせた方が
よくはなかつたかといふ思ひを払拭できなかつたからだ。
統一されたコンセプト、そのコンセプト主導の五話オムニバス形式、
すべてのエピソードが基本的に二人だけの芝居。さう、
これは舞台作であればより輝いたに違ひない、
などと書いたらエゴサーチの好きな監督に叱られてしまふだらうか。

最後に。
「あなたがここにいてほしい」でネクタイ氏の嫁を演じた丸山奈緒は、
実際には「チヨーゼツ可愛イおれの嫁!!」の通りのチャーミングなプロのモデルである。
この日は、Twitterおよびブログを通じて彼女からこの上映のことを教へてもらつての
参加であつた。

奈緒さん、有難う。

★2013年6/29~7/5 18:45〜20:45*(18:30開場)連日舞台挨拶あり
★オーディトリウム渋谷にてイヴニングショー




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支配人プロフィール
HN:
NOMi Koichi
年齢:
51
性別:
男性
誕生日:
1965/07/09
趣味:
写真、音楽、文学
自己紹介:
Koichi NOMi と申します
東京在住の写真好きです

女の子ポートレイトを中心に
街やらライブやら
色んなものを写して
表現して楽しんでゐます
皆さま
どうぞよろしくお願ひ致します
(*^▽^*)/

フランスの写真家
ギイ・ブルダンが大好きです
(Guy Bourdin, 1928-1991)
Guy Bourdin: A fetish for fashion
明快な細部と曖昧な物語性
大胆な構図と緻密な状況設定
そして色
どこをとつても素晴しい!

私も
どうせ写真を撮るなら
彼のやうな作品が撮りたいな
とは思ふのですが
ちよつと道のりは遠いかな
(苦笑)

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