趣味の写真とのんきなお喋り
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 あるプロカメラマン(男性)のセリフ。

「女性は毎日鏡に向つて自分をきれいに見せようと努めてゐる。この努力の積み重ねは男性にはない。だから『美』に対するセンスは基本的に女性の方が男性よりも上だ。そんな女性たちが本格的に写真を撮り出したら、男は敵はない」

 確かにさうだらう。男性は、刻一刻と変はつてゆく自分の顔や服装を、変へてゆく自分の手の動きとともに見つめるといふことをあまりしない。しても、その時間は確実に女性よりも短い。

 この、「平素から自分を見つめる」ことが多いか少ないかは、写真における男女差に結構大きな影響を与へてゐるのではないだらうか。もとのカメラマンの発言からは少しそれるけれど、この点に関してもう少し考へてみよう。



 私は写真撮影における顕著な男女差に「自分撮り」があると考へてゐる。ただし、この「自分撮り」は「自分を撮る」ことであつて、自分で撮らうが他人に撮つてもらはうが、それは問はない。自分を被写体として考へるかどうかといふことである。私の見たところ(と言つても私の身近な数人を観察した限りだが)、女性は自分を自分の被写体と考へることが男性よりも多い。言ひ換へれば、男性は自分を撮らうとはあまり考へない。

 例へば男性は「プリクラ」をほとんど撮らない。などと書くと、そりやあ男は酒でも入らんかぎりプリクラなんてやらないよといふ野太い声が聞えてきさうだが、プリクラ以外の「自分撮り」だつて男はあまりやらない。旅行に出かければ、男性は風景を撮り続けるが、女性は風景の中にゐる自分も撮る。カメラ付きケータイの普及も相俟つて、自分にカメラを向けるのは圧倒的に女性が多いと私は思つてゐる。

 そもそも写真とは記録である。世の光をその光のままに化学的に(今は電子的に)定着して残すもの、これが写真である。

 したがつて、プリクラをはじめとする「自分撮り」は文字通り、その時の自分の記録である。ならば、「その時の自分を」記録することが多いのが女性であり、一方、「自分がその時を」記録することが多いのが男性である、と言ふことは出来るだらう。男性は自分を撮ることが女性よりも確実に少ない。これは間違ひない。しかしそれは勿体無いことなのではないかと私は思ふのだ。





 さて、私の知人(男性)にお子さんが生れて、大喜びの彼は早速、一眼レフカメラを購入し、次々とお子さんの成長記録をつけるようになり、かつ機会あるごとにお子さんの写真を私たちに見せて、親ばかそのものの笑顔になつて相好を崩すやうになつた。

 実際にお子さんは可愛らしいし、写真の中のお子さんもこれまた可愛らしい。それを見せてニヤケてゐる彼には、正直なところ少々閉口しはするものの、まあこれが親の心といふやつかと私は大目に見てゐる。が、しかし、ある時ちよつと気になることがあつて、私は彼に確認したのだ、君自身の写真はないのかと。

 彼はこちらの話の要点が飲み込めず、きよとんとしてゐたが、やがてかう返事した。「カメラはぼくが持つてゐるんだから、ぼくの写真なんて撮れるわけないぢやないか」と。

「いや、さうではなくて、自分自身の写真を残さうとはしないのかい?」と私が尋ねると、彼は、ちよつと間を置いて、さういふことは考へたことがなかつたと言つた。

 実は、この少し前、私自身思ふところがあつて家にあるアルバムを整理してゐたのである。私の父が撮つた何十年も昔の幼い自分の姿を古びた写真の中に見つつ、いまの私と同じ年恰好の父の姿を眺めながら、親父もこの頃は今より何十年も若かつたんだよなと当り前のことを思つた時、ふと気づいたのである。私の幼い日の姿を収めたアルバムの中には、その当時の父の写真があまりないことに。

 私の父は写真を撮ることにそれほど熱心ではなかつたが、人並みに折にふれて写真を撮ることはあつた。だから、幼稚園や小学校の集合写真や記念写真以外にも、日常の私の姿が写真として残ることになつた。しかし人並みであるだけになほさら、それは典型的な「男の写真」であつた。つまり自分の見たものの記録だつた。当時の父の写真はほぼすべて、父のカメラを渡された母が撮つたものであり、それらはどう見てもただの記念写真である。その他に父の写真はない。自分を記録するといふことは、父の頭には思ひ浮かばなかつたらしい。それはさうだらう。そんなこと、今の男だつてあまりしないのだから。

 しかし私は、かつての父の姿の少ないことにある種の寂しさを覚えてしまつてゐた。母の写真はある。それは父がその目で見てゐたからだ。そして幼い私の写真はたくさんある。それは父が私を可愛がつてゐたからだらう。しかし父自身が少ない。たくさんの幼い私と何枚もの母の写真との間に、ほんの申し訳程度にしか父の写真のない古いアルバムのページを、私はだまつて繰り続けた。





 そんなことがあつたために、私は知人に先のやうなことを聞いたのである。そしてついでに私は、男つて意外に自分を撮らないよなといふ話もした。話を聞いた知人は、確かにさうだとうなづいてゐた。可愛いわが子の姿を写真に残さうとする父親は多くても、そんな自分の姿を写真に残すなどといふことは、たいていの父親の頭には浮かばないものだ。

 だから、世の父親たちおよびこれからの父親たちに私は提案したい。

 もしあなたが、お子さんの成長記録をつけよう、可愛いわが子の姿を写真にして残しておかうと考へたのなら、ちよつとだけ意識して自分の姿も写真に残しておきませんか、と。将来のお子さんに若かつた頃の自分の姿を見せてあげませうよ、と。

 あなたやお子さんが時とともに変はつていつても、記録としての写真は時を越えて残るだらう。そして将来、お子さんが今のあなたくらゐの年齢になつた時、写真の中のあなたを見つめることがあれば、今の自分とあなたとを比べて、何ごとかを思ふだらう。それが何かはよく分らないけれど、その思ひの中には、自分と同い年の父への(少しだけの)同情と、そして(大きな)感謝の念とが入つてゐるだらう(たぶん。いや、きつと)。カメラがあるなら、プリクラ気分でもいいので、あなたの今の姿を残しておきませんか。あなたの残した今のあなたの写真は、将来のいつの日にかお子さんに、時を越えた親子の対話を贈ることになるのかも知れないのだから。






最後まで読んでくださつて有難うございます。
某所にて現代仮名遣ひで発表した文章ですが、
私のブログでは歴史的仮名遣ひ版で掲載致します。
皆さまの忌憚の無いご意見は、もとより歓迎するところです。

さて、超多忙期に入ります。
しばらくの間、また更新を休みます。
記事400番は、いつの更新になるかは分りませんが、
出来れば、女の子写真で再開したいですね(笑)。

なほ「別館」(http://ttn18gray.exblog.jp/)では
毎日つぶやいてゐると思ひます。
最近は、会社への往復の暇つぶしに、ケータイから
「別館」の更新といふのが多くなりました(笑)。

それでは、また。
皆さま、よいお年を。
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支配人プロフィール
HN:
NOMi Koichi
年齢:
51
性別:
男性
誕生日:
1965/07/09
趣味:
写真、音楽、文学
自己紹介:
Koichi NOMi と申します
東京在住の写真好きです

女の子ポートレイトを中心に
街やらライブやら
色んなものを写して
表現して楽しんでゐます
皆さま
どうぞよろしくお願ひ致します
(*^▽^*)/

フランスの写真家
ギイ・ブルダンが大好きです
(Guy Bourdin, 1928-1991)
Guy Bourdin: A fetish for fashion
明快な細部と曖昧な物語性
大胆な構図と緻密な状況設定
そして色
どこをとつても素晴しい!

私も
どうせ写真を撮るなら
彼のやうな作品が撮りたいな
とは思ふのですが
ちよつと道のりは遠いかな
(苦笑)

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